ラジオやエッセイで等身大の言葉を発信するジェーン・スーさん。
本名や年齢、若い頃の経歴など、プロフィールを詳しく知りたいという声も多いですよね。
この記事では、スーさんの素顔がわかる基本情報や人生エピソードをまとめました。
ジェーン・スーさんの本名・年齢・出身地
ジェーン・スーさんは、作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、エッセイスト、作家として多岐にわたり活動しています。
| 項目 | 詳細 |
| 本名 | 森本薫(もりもと かおる) |
| 生年月日 | 1973年5月10日 |
| 年齢 | 52歳 (2025年時点の記述に基づき) |
| 出身地 | 日本、東京都文京区(生まれも育ちも文京区) |
| 学歴 | フェリス女学院大学文学部卒業 |
| 職業 | 作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティなど |
スーという愛称・名前の由来
「ジェーン・スー」という名前は芸名であり、本人は自称「生粋の日本人」です。
芸名「ジェーン・スー」は、外国人割引のあるホテルで使った“とっさの偽名”が始まり。mixiのハンドルネームとして定着し、そのまま芸名になったそうです。
名前を決めるとき、とっさにアメリカ留学時代のルームメイト「ジェーン・ウェルチ」を思いつきましたが、アジア人なので「ウェルチ」はおかしいと判断し、「スー」にしたそうですよ。
ジェーン・スーさん 若い頃の経歴とキャリア
現在はメディアで“共感の言葉の人”として知られるスーさんですが、
その芯の強さや表現力は、学生時代から社会人時代の経験に裏打ちされています。
ここからは、ジェーン・スーさんの若い頃の経歴とキャリアの歩みを振り返ってみましょう。
卒業した大学はどこ?
スーさんは、貴金属業を営む裕福な家庭に一人っ子(ひとり娘)として生まれ、幼少期より多くの習い事や稽古事をしました。
幼稚園から東京学芸大学附属竹早中学校まで内部進学で進みましたが、高校は浦和明の星女子高等学校を卒業しました。
大学はフェリス女学院大学文学部に入学し、在学中に早稲田大学のサークル「ソウルミュージック研究会」に所属していました。
このサークルには、後にプロデビューするRHYMESTER(宇多丸さんやMummy-Dさんは先輩、DJ JINさんは同期)もおり、旧知の仲間です。
TBSラジオ入社前後・音楽業界時代
大学卒業後、エピックレコードジャパンに入社し、センチメンタル・バスや葛谷葉子などの宣伝を担当しました。
その後、ユニバーサルミュージックに転職し9年間勤務。さらに、眼鏡販売会社Zoffに転職し、約3年間商品企画などを担当しています。
24歳のときに母親を亡くし、会社員として働いていた終盤には大きな失恋も経験します。
その後、35歳で退職。家業の整理を進めるために実家を手放し、自分の貯金もすべて注ぎ込みながら、一から人生を立て直していきました。
その後、エピックレコード時代の同僚が設立した「agehasprings」の事務作業を手伝ううち、作詞を依頼されたことが作詞家デビューのきっかけとなりました。
作詞家としての代表作
作詞家としては、音楽クリエイターチーム「agehasprings」に所属しています。
主に「Kenji & Jane」の共同名義でTomato n’ Pineのほとんどの楽曲を作詞し、他にもNegiccoの「ときめきのヘッドライナー」などを手がけています。
コラムニストとしては、mixiに書いていた日記が雑誌『GINGER』編集者の目に留まりデビューしましたが、一時期は依頼が途絶える低迷期もありました。
この当時、10円でも安いティッシュペーパーを求めてドラッグストアをはしごしたと振り返っています。
ジェーン・スーさん 結婚・パートナー観について
スーさんは独身であり、自称「未婚のプロ」として知られています。
波乱万丈なキャリアを経て、会社員から作詞家、そして人気エッセイストへと転身したスーさん。
仕事を通じて社会や人間関係に向き合う中で、自分らしい生き方や“結婚しない選択”についての考えも明確に形づくられていきました。
「結婚しない選択」を語ったエピソード
スーさんの作家としてのブレイクのきっかけとなったのは、2013年10月に出版された『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』です。
また、2015年には『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で第31回講談社エッセイ賞を受賞しており、この著書やコラムを通じて、女性の生き方や年齢にまつわる固定観念に切り込んできました。
スーさんは、多様な愛の悩みに答えるポッドキャスト番組のMCも務めており、年齢やジェンダーなどの固定観念にとらわれない、現代的な視点で解決の糸口を探る姿勢を提唱しています。結婚について「籍を入れるまでの理由が見当たらない」と語る対談記事も過去にあります。
自立した生き方の象徴としての考え方
スーさんのエッセイは、女性が直面する社会的な「モヤモヤ」を言語化し、完璧主義を手放す生き方を示してきました。
2020年発行の著書『これでもいいのだ!』なども含め、一貫して「自分を責めない」というテーマを扱っています。この考え方は、後に言及される父親の介護においても、「感情や時間も含め、コストを比べている感じ」でビジネスライクにケアを進めるという自立したスタンスにつながっています。
ジェーン・スーさん 家族との関係・父親とのエピソード
スーさんが「未婚のプロ」として自立を貫く一方で、家族との関係もまた彼女の人生を大きく支えるテーマです。
ここからは、スーさんの原点ともいえる“父親との関係”や、話題となった介護エピソードについて見ていきましょう。
親との関係について語った著書紹介
「ジェーン・スー」としての活動を父親に内緒にしていましたが、2014年8月にテレビ出演したことで親戚を通じて父親の耳に届いてしまったのだそうです。
スーさんは、父との関係を赤裸々に綴ったエッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)を2018年に出版しました。この著書は、父を中心に家族のことを綴ったもので、2021年にはテレビ東京系でテレビドラマ化もされています。
スーさんは、父との関わりについて、愛情があるのと同じくらい腹が立つし、傷つくし、気が滅入ることは当然であり、嫌なことがあれば「しばらくは手を抜く。当然だ。私だって人間だもの」と述べています。
あさイチ放送にもつながる父の介護の話
そして、近年の活動で大きな反響を呼んでいるのが、父親の「介護未満」の時期を綴った記録です。
父は82歳で突然ひとり暮らしとなり、家事がほとんどできないため、唯一の家族である娘がサポートに奔走しました。
これが、2025年8月20日に発売され、NHK「あさイチ」でも紹介された新刊『介護未満の父に起きたこと』(新潮新書)にまとめられています。
この本は、父の82歳から87歳までの七転八倒の5年間の記録であり、「老人以上、介護未満」の段階が長く険しいことを伝えています。
まとめ
ジェーン・スーさんの生き方は、いつの時代も「自分を責めない」姿勢に貫かれています。
仕事でも恋愛でも家族関係でも、完璧を求めずに現実を受け入れ、
時にユーモアを交えながら人生を軽やかに生き抜く姿は、多くの人に勇気を与えています。
父親との関係を描いた近著『介護未満の父に起きたこと』をはじめ、
スーさんの言葉は、介護に悩む人や生き方に迷う人に寄り添う“人生のヒント”となるでしょう。
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